自分の心に刺さった言葉を消せる消しゴムが欲しい。
どうも、はっさくです。
最初の投稿で奥さんから離れて実家で過ごしているというお話をしましたが、その内容について記録のためにもブログに残しておこうと思います。
ぼくが体調を崩したのが7月の終わりごろでした。
東京から茨城にきて保育の環境も変わり、保護者とのトラブルもありといろいろ続いた結果「うつ病」になったのだと思っていました。
うつ病の診断は、精神科に行けたのが8月上旬にでました。
うつ病と診断が出てからの出来事ですが、
1回目の事件は、奥さんから「洗濯物たたんでおいて」に対してその時「うつ状態」がひどかったため断ると、奥さんの態度がイライラモードに・・・。
そして「自分がなにもできないからだ」と責め、爪で腕を何度もひっかいてしまいました。
1回目の事を話すと主治医の先生が「うつ病」が茨城に来て発症したのではなく、東京にいるときからのような気がするとおっしゃいました。
2,3年前から右手の甲をかむ癖があったのでそういった形でストレスを発散していたのではないかとのことでした。
そして、薬を1種類増やしてもらい飲み始めると2~3日調子がいい日が続き、洗濯物を畳んだり、洗い物をしたりすることができる日が続きました。
奥さんを職場に迎えに行った帰りの車で「今日も調子がいいから手伝えそうだよ」と伝えるくらい体調は良かったのです。
その日、2回目の事件が起こります。
僕がうつ病になってからは、僕の実家(徒歩で数分の距離)で夕飯を食べて家に帰ることが日課になっていました。
家に帰ると体調が悪くなり横になって休んでいるとき
「3番目の子見ててー」と言われたことに対して
「ごめん、今は無理だ」と伝えると「
えー、今日は大丈夫っていったじゃん」との返しがかえってきました。
その時からです。
「自分は役立たずだ」と言いながら体をより傷つけるようになったのは・・・。
足に歯石取り(先のとがった硬いもの)役立たずと掘ったり、腕にひたすら「役立たず」と言いながら傷をつけました。
ですが、数日後の朝に奥さんと話しをしお互いに気を使いすぎていたことがわかると気持ちも楽になり、落ち着いて過ごせる日が続きました。
そんな中、3回目が起こります。
実家でお風呂に入っているときに、話の流れは忘れてしまいましたが
「言いたいことがあるなら言って」と奥さんに言われたので
「うつ病になる前にデブ、ブタ、臭い、おやじと言わないでほしかった」
と伝えたのです。
奥さんから帰ってきた言葉は、
「それじゃ私の
ストレス解消はどうしたらいいの?」
でした。
その瞬間、自分の頭の中が真っ白になりました。
自分はまた身体的特徴を馬鹿にされる環境に戻るために
治療しているのか、と。
だったら、治療なんて必要ない、死んだほうがいいと、
その時の自分は考えてしまいました。
実家で過ごしている間は、自分の心のうちを悟られないように必死に明るく振舞い家に奥さんや子どもたちを送り届け、
奥さんに「今までありがとう。さようなら」と伝えて家を後にしました。
元々、その日から実家ですごく予定であったため奥さんも「さようなら~」
と軽く流していました。
そのまま、僕は看板を見ながら海のほうに向かいました。
向かっている道中は、ひたすら泣きながら腕に歯石取りや爪で傷をつけながら泣きました。ただ、このまま走っていると事故で他人に迷惑をかけてしまうかもしれないとコンビニに車を止めて、また泣きながら体を傷つけ続けました。
すると死にたい気持ちが少し収まり、実家に帰ろうという気持ちになったので車を実家のほうに向けて走らせました。
ですが、意識がちゃんとしてないせいかまっすぐ走れている自信がなかったので親に連絡を入れて事情を説明し迎えに来てもらい、無事に帰りました。
その日から数日間は、夜に涙が出てきたりとかなり不安定な日が続きました。
思い出す言葉は
「私のストレス解消はどうしたらいいの?」
もし、もしも心に刺さった嫌な言葉を消せる消しゴムがあるのなら
今すぐにでもこの言葉を消し去りたい。
現在、この事件から2週間ほどたっていますが、実家で療養していいようが
毎日、毎日、毎日、この言葉が1回以上聞こえてきます。
言葉は、人を元気づけるものもあれば、
一生の傷を残すこともあると改めて思いました。
奥さんに子どもたち三人のお世話をさせて本当に申し訳ない気持ちもありますが、今は子どもたちに会いたいとは思いますが、奥さんに会える勇気がありません。
今回は、重たいブログ更新になってしまいすみません。
では、また次回・・・。
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